結局、自民党の改憲案って何がヤバいの?引用しながらまとめてみた
こんにちは。モデレートです。
私について詳しくは以下の記事を参照ください。
さて、7月21日の参議院選挙が近付いてきましたが、安倍首相は憲法改正を争点の一つとしたい考えを示すなど、やはり改憲への思いを強く持っているようです。
さて、改憲というと、改憲派VS護憲派という対立の構図がイメージとしてあるのではないでしょうか。
しかし、今度の自民党憲法改正草案にその構図を持ち込み、「改憲派だから賛成、護憲派だから反対」と考えてしまうことは、非常に危険です。
実は、改正草案には「そもそも憲法は何のためにあるのか?」ということを理解していない箇所が多々あり、改正が実現してしまえば解釈次第で国民の権利や自由を容易に制限できてしまう恐れがあるのです。
特に、問題とされているのが98条、99条に定められている「緊急事態条項」です。
簡単に言えば、内閣が権力を集中させて、独裁のような体制を築けるようにしてしまう内容が規定されています。
本記事の(4)にて詳説しているので、お時間のない方や長文読むのが少し面倒臭い方は、そこだけでも目を通してみてください。
また憲法とは国の根幹をなすものですから、やはり内容を見て、その是非を判断するべきでしょう。
ここでは自民党憲法改正草案の何が問題なのか、具体的に見ていく事にします。
因みに自民党憲法改正草案は下記のリンクからアクセスできます。
少々長いですが、是非一度ご覧になってください。
http://constitution.jimin.jp/document/draft/
なお、以下では現行憲法および自民党憲法改正草案の条文をいくつか引用します。その際、
(草)…自民党憲法改正草案
(現)…現行憲法
と、引用条文左上に記すことにします。
目次
(1)どんな人たちが改憲をしようとしているのか?
(2)憲法は誰が守るもの?
(3)「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」の違い
(4)「緊急事態条項」は何がまずいのか?
(5)最後に
(1)どんな人たちが改憲をしようとしているのか?
いきなりですが、次の動画をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
何やら物騒なことを言っていますね。
実は彼ら、「日本会議」という保守団体のメンバーです。
彼らは日本人の手による「自主憲法」を目指し、改憲への動きを進めているわけですが、動画でも見られるように、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」といった憲法の原則を、失くそうと主張しているのです。
そして、安倍首相をはじめとして、現政権の閣僚の多くが日本会議に所属しています。
今度の改憲問題の一つのポイントがここにあります。
安倍首相は、改憲について話すとき、九条ばかりが争点であるかのように言いますが、自民党改憲草案には「基本的人権」を抑え込むことが出来る、危険極まりない条文が多く含まれているのです。
これは、日本会議の思想そのものであり、そのメンバーが中心となって改憲を進めていることは知っておくべきでしょう。
次項より、個別に問題となる条文を見ていきます。
(2)憲法は誰が守るもの?
(現)
第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
さて、いきなりですが現行憲法九十九条を引用してみました。これを見て何かに気付くでしょうか?
大切なことは、憲法を「尊重し擁護する」主体として、公務員や裁判官、国会議員に国務大臣、さらには天皇まで国家権力側に関与する人間が記されているという事です。
つまり、憲法とは国家権力を縛るものであり、決して国民側が守らなければいけない性質のものではないのです。
さらに言えば、憲法というものは、個人の自由を前提にして社会を組み立てようという考え方の上に成り立っています。
このように言うと、違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。
「自由には義務が伴い、国民も憲法を守らなくてはならないのは当然では?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。
しかし、強大な国家権力に対して、そこに住む個人は非常に弱い存在です。
国家の法体系の根本を為す憲法の中で自由が保障されていなければ。国家の都合次第で容易に人権を制限できてしまいます。
実際に、大日本帝国憲法下では治安維持法が制定され、人々は「表現の自由」だけでなく、「思想・良心の自由」までも侵害されたのです。
以上のように、どうしても弱い個人に対して、国家権力が暴走をすることを防ぐために「憲法の範囲内で国家権力の行使を認めよう」という考えを「立憲主義」と言います。
対して、改正草案を見てみましょう。
(草)
(憲法尊重擁護義務)
第百二条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2国会議員、国務大臣、裁判員その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
憲法に縛られるべきは国家権力であり、国民一人一人でないことは今話した通りです。しかし、この改憲草案には「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」とはっきり書かれています。これじゃ、まるでアベコベです。
先述の通り、憲法にとって一番重要なことは、国家権力の暴走を防ぎ、個人の自由を守ることです。
これは立憲主義の精神を完全に無視しており、この条文が含まれている時点で自民党改憲草案は憲法としての役割を失っているわけです。
(3)「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」の違い
(現)
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第二十九条
財産権は、これを侵してはならない
財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
「公共の福祉」という文言が含まれている条文をいくつか抜き出してみました。よく耳にするワードですが、一体これにはどんな意味が含まれているのでしょう?
公共の福祉論にはいくつかの学説があり、話がややこしいところもあるのですが基本的な考え方は次の通りです。
先ほども触れたように憲法は国家の暴走を防ぐためのものです。そのために憲法の根底には、「個人の自由を前提に社会を組み立てる」という考え方があります。社会が個人の自由に優先されるならば、国家の都合次第で自由を制限することが容易になってしまうからです。
この考えのために、日本国憲法においては様々な人権が「侵すことのできない永久の権利」として、規定されているのです。
しかし、日本という国に住んでいる人は当然ながら自分一人ではありません。自身だけでなく、家族や友達、通りすがりの他人にも人権が認められているわけです。
ここで少し考えてみてください。それぞれの自由が無制限に認められれば、何が起こるでしょう?当然、自分の自由と他人の自由がどこかで衝突することになります。
その場合、互いの自由を制約するものが何もなければ、自然に強者の自由が優先され、社会的弱者は淘汰されていくしかなくなります。全ての個人に基本的人権を保障することが憲法の役目ですから、これではいけません。
そこで、個人間の自由の調整装置として働くのが、「公共の福祉」なのです。一見、立憲主義と矛盾しているようにも見えるこの文言ですが、実は私たちの権利を守るのに大きく貢献しているというわけです。
一方、改憲草案においては、どのような表現がなされているのでしょうか。
(草)
(国民の責務)
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。又、国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第十三条
全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重しなければならない。
第二十九条
財産権は、保障する
2財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的想像力の向上に資するように配慮しなければならない。
3私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる。
ご覧の通り、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に差し替えられています。
「なんだ、ちょっとした表現の違いじゃないか」と思われるかもしれませんが、ここは注意が必要です。
前者は、「福祉」という言葉が表すように、やはり社会的弱者に配慮した文言です。既述の通り、あくまで個人VS個人の調整装置です。
しかし、後者にははっきりと「公益」或いは「公の秩序」と明言されています。ここで「益」を得る主体が個人でないことは明らかです。
つまり、ここでは「国家の利益や秩序」が「個人の自由」に優先することが示されているのです。先述した、憲法の根幹を為す考えとは明らかに矛盾しています。
むろん、現行憲法の下でも、社会秩序の維持のために様々な法律が整備されているわけですが、憲法に記述してしまうことはワケが違います。
「公益」や「公の秩序」というものを一体誰が決めるのか?為政者に「公益及び公の秩序」に反すると判断されれば、それが人権を抑圧する口実となってしまうわけです。
言葉に頼る憲法の性質上、どうしても解釈が分かれる部分は出てきますが、国家権力が都合よく運用できるように文言を差し替えるなんてことは、言語道断です。
同じことを言える条文が、表現の自由を定めた、第二十一条です。
(草)
(表現の自由)
第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない。
問題は第2項です。先述した問題がそっくりそのまま、ここに含まれていることがおわかりでしょう。一応第3項の「検閲の禁止」はそのまま保持されていますが、国家の都合でいくらでも制限できるものを、果たして「表現の自由」と呼ぶことはできるのでしょうか?
(4)「緊急事態条項」は何がまずいのか?
自民党改憲草案について語られる際によく耳にするのが、この緊急事態条項です。
名前からして何だか物々しい雰囲気が漂っていますが、実はかなり危険な条文なのです。
かなり長いですから、いくつかポイントとなるところを抜き出してみましょう。全文確認したい方は、自民党改憲草案の24、25ページ目に書いてある第九十八条と第九十九条をご覧ください。
第九十八条
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2.緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
まずは、緊急事態条項の発動要件です。これを見ると発動までのプロセスは、①閣議 ②国会での承認となっていますが、国会承認は事後でも可能なうえ、議会は政権与党が過半数を占めている場合がほとんどですから、内閣の意向次第で発動が可能であると言えるでしょう。
現行憲法下でも警察法では、内閣総理大臣が災害時等において、「緊急事態の布告」を行うことを認めていますが、そこでは暴走を防ぐために「国家公安委員会」という第三者からの勧告を前提としています。
3.内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。
ここからも、緊急事態の判断が国会もしくは内閣の判断のみに委ねられること、警察法における国家公安委員会のような存在が定められていないことが分かります。
また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
逆に言えば、国会の承認を得ることで、内閣は100日ごとに緊急事態の宣言を更新し続けられるということを意味しています。流石に、事後の承認では認められないようですが。
そして、緊急事態が宣言されると一体何が起きるのか?続けてみていきましょう。
第九十九条
緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる
つまり、緊急事態下では、内閣が独断で法律を制定することが出来るわけです。これは、国会の立法機関としての役割を有名無実化し、滅茶苦茶な法律が乱発されるという危険性をはらんでいます。
続く第2項には、例によって「事後に国会の承認を得なければならない」とされています。
4.緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
事実上、緊急事態下では現職の衆議院は解散されず、現職の議員が永続的に議員でいられるということを意味しています。国家権力が暴走しかけた時、選挙によってこれを止めることが可能ですが、緊急事態条項ではそれすらもできなくなると言っているわけです。
しかし、「災害や戦争といった非常事態であれば、内閣に決めてもらった方が迅速な対応が出来るのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんから、もう一度問題点を整理してみましょう。
まずは、既に警察法の中で「緊急事態の布告」について定められていることから、ことさらに憲法に書き込む必要がないこと。
また、自衛隊法においても「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められる」時には、国会の承認を得たうえで自衛隊へ出動命令を指すことが出来るとされていますから、緊急事態への備えは整えられています。
その上で、「緊急事態条項」では、第三者委員会の勧告などを必要とせず、閣議と国会の(場合によっては事後)承認で発動できますから、極端な事を言ってしまえば、緊急事態が何かという事について、内閣が自由に決定できてしまいます。
そして、実際に発令されれば、内閣の発する政令が法律と同じ効力を持つこととなり、国会に立法権を、内閣に行政権を与えていた三権分立の仕組みが形骸化してしまいます。
権力を分立させることで抑制を図るという考え方は、人権を守るための柱の一つですから、ここでも自民党改憲草案は憲法の役割を無視しています。
更には国会の承認を得ることで緊急事態の宣言は百日ごとに更新することができ、その場合に議員の任期を無効化できますから、文言上、緊急事態宣言を繰り返し発令することでの政権の維持が可能になります。
さらに、我々が権力の暴走を止める最後の砦である選挙も、実施されなくなってしまいます。
こうなればもう、個人の権利などはあったものではありません。当然に保障されていると思える自由という物が、どれだけか弱いものなのかを、皆さんに知ってもらいたいのです。
(5)最後に
いかがでしょうか。この他にも、改憲草案には問題点が多々あるわけですが、今回取り上げたことをまとめると
① 立憲主義を理解していない
② 国家権力にとって都合のいい解釈を可能に
③ 民主主義に基づく政治システムを骨抜きにしてしまう緊急事態条項
繰り返し述べてきたように、憲法は、強大な国家権力に対して非常に弱弱しい存在である個人を守るためにあるものです。その憲法が権力の味方に付いた時、我々は何を頼ればいいのでしょうか。
それぞれの当たり前のような日常生活は、改憲一つで失われてしまう、非常に危うい「基本的人権」の上に成り立っているのです。
今度の参議院選挙で自民党含む改憲勢力が、3分の2の議席を確保すれば、この改憲発議が可能になります。
その後国民投票というプロセスを経ないと改憲案は通らないわけですが、上述した内容のものが日本の憲法となる可能性が、近くに迫っているのです。
是非一度、ご自身の目で改憲草案をご覧ください。
そして今度の選挙で自民党に票を投じることが何を意味するのか、しっかりと考えてみてください。